迫害について

大紀元が《共産党についての九つの論評》と題する一連の社説を発表

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旧ソ連と東ヨーロッパ諸国の共産党政権が崩壊して10数年経つ今日、世界の共産主義運動は早くに全世界から唾棄されており、中国共産党が墳墓に入るのも時間の問題である。

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【第一評】共産党とは一体何ものか

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序文

5000年来、中華民族は黄河と長江が育んだこの地に生まれ、生活し、数十の王朝を経て、輝かしい文明を築き上げてきた。その間、栄枯盛衰を繰り返しながら、怒涛の如き壮大なる、感動の絵巻を展開してきた。

アヘン戦争が起きた1840年は、歴史家の間では中国近代史の始まりであり、中国が中古の世紀から近代化へ向かう出発点であると考えられている。そ れ以来、中華文明は四度の挑戦とそれに伴う対応を経験した。初めの三度はそれぞれ、1860年代初期の英仏連合軍の北京への侵攻、1894年の日清戦争、 そして1906年の中国東北地方における日露戦争が、大きな引き金となって形成された挑戦であった。そして、それらの挑戦に対する中国の対応は、器だけの 導入(つまり、精神的なものは取り入れず、科学技術だけの導入、即ち洋務運動)、制度の改良(即ち戊戌の変法[1]と清国の立憲)、ならびに後の辛亥革命[2]であった。

第一次世界大戦後、戦勝国である中国の利益は、列強たちによって考慮されることはなく、当時の多くの中国人は、初めの三度の挑戦に伴う国内の対応は全て失敗であったと考えた。その結果、五四運動[3]が起こり、そこから第四の波、つまり最後に残った一面での対応が始まったのである。それは、文化面での全面的な西欧化であり、その後極端な革命、即ち共産主義運動が始まったのである。

この社説が関心を寄せるのは、最後の一波に対する中国の対応の結果として生まれた、共産主義運動と共産党である。160年余りの間、1億人 に近い人々の不正常な死とほとんど全ての中国の伝統文化・文明を代償にして、中国が選択したもの、言い換えれば中国が押し付けられたものは、一体どのよう な結果であったのかを分析してみようと思う。

 

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【第二評】中国共産党はどのようになり上がったのか

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序文

「説文解字」によると、「党」という字は、即ち「尚(なお)黒(くろ)」の二文字からなる。「党」、「党人」など、中国語の.中では貶す意味があ る。孔子曰く「君子は矜(きょう)にして争わず、群して、党せず」。「論語」の注解よると、党とはお互いの悪と不正を隠し合うものである。中国の歴史の中 にある小さな政治集団は、「朋党」とよく呼ばれるが、中国伝統文化の中では、良くない概念であり、徒党を組んだ悪い仲間という意味である。「党を結び」と いうと、「私利を営む」ことが連想される。

では、近代の中国で、「共産党」が現れ、勢いに乗り政権を奪い取れたのは何故だろう。中国共産党が人々に植え付けてきたものは、「歴史が中国共産党を選択し、人民が共産党を選択した、共産党がなければ新中国も無い」というものである。

中国の国民が自ら共産党を選択したのか、或いは、共産党が党を結び、私利を営み、国民に強制し、押し付けたのか、歴史の中で答えを探すしかない。

清朝の終わりから中華民国の初期まで、中国というこの古い国が、外来の衝撃と内部の変革を経験し社会は混乱と苦痛の中にあった。その間、多 くの知識人と仁愛ある正義の人々は国を救い世を救おうという思いで胸が一杯であったが、国難と混乱の中にあって彼らの憂患の意識は失望から完全に絶望へと 変わっていった。国の病を治すためには手段を択ばず、中国以外のところで万能薬を探し、イギリス式が駄目ならフランス式、フランス式が駄目ならロシア式 と、劇薬の使用さえ惜しまず、出来れば一日で中国を奮い立たせたかった。

「五.四運動」はその絶望感の産物である。ある人は無政府主義を主張し、ある人は孔子の学説をなくすべきと唱え、ある人は西洋文化を導入 すべきと主張した。つまり、中国の伝統文化に否定的な態度を取り、中庸の道を捨て、焦って近道を選び、すべてを破壊すべきであると主張した。中でも過激派 は国恩に報えないことに無念を感じる一方、自分の理想と意志を信じて疑わず、現実の世界がもう救いようがなく、自分だけが歴史発展の鍵を見つけたと考え、 革命と暴力に情熱を注いでいった。

様々な境遇により、人々はそれぞれの理論や学説、道にたどり着く。やがて、ある人たちはソ連共産党の代表者と出会った。暴力革命による政 権の奪取というマルクス・レーニン主義が、彼らの焦る気持ちと共鳴し、国と国民を救おうという彼らの願望に符合した。このようにして、全く異質な、この異 国思想は彼らによって古い中国に注入された。

中国共産党第一次代表大会に参加したのは十三人だったが、その後、ある者は死亡し、ある者は逃亡し、或いは日本に組し、または国民党に転 向し、1949年共産党が政権を握った時には毛沢東と董必武(とうひつぶ)の二人しか残らなかった。これらの共産党設立者達が、ロシアから招いた“神霊 (しんれい)”は悪霊であり、そして国を奮い立たせた薬は、猛烈な毒薬だった事を二人は知っていたのだろうか。

当時、ソビエトロシア共産党(ボルシェビキ)は政権を取ったばかりだが、中国に対してすでに野心を抱いていた。1920年、ロシアは、シ ベリアに第三コミンテルン極東書記局を設立、中国などの共産党設立を担当し、管理していた。主管はSumiltsky(スミルツキー)、副主管は Voitinsky(ボイチンスキー)であり、陳独秀(ちんどくしゅう)らと一緒に、中国共産党の設立準備を開始した。1921年6月彼らが第三コミンテ ルン極東書記局に提出した中国支部の設立計画書は、中国共産党が第三コミンテルンの一支部である事を明記した。1921年7月23日、Nikolsky (ニコルスキー) と Maring(マーリン)の監督の下、中国共産党が正式に成立した。

その日から、共産主義運動は中国に試験的に導入され、党の生命がすべてを超越し、すべてを征服し、中国に限りない災難をもたらした。

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【第三評】中国共産党の暴政

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序文

暴政と言えば、中国人は秦の始皇帝による苛政と焚書坑儒を連想するものがある。始皇帝の「天下の資産が尽きるまで政治のために」《漢書・食貨志》と いう暴虐は、集中的に4つの方面に現れた。「情け容赦のない租税の取り立て、人民の財力を功名心の赴くままに乱用、近隣も連座させる過酷な法律と刑罰、思 想統制と焚書坑儒」があげられる。秦が中国を統治した時代、およそ1千万の人口に対して、2百万人の労働者を強制的に徴用した。始皇帝はさらに過酷な法律 と刑罰を思想の領域に広げ、はばかることなく思想の自由を束縛し、かつて政治を批判した儒学者を千人あまりも殺害した。

このような「虎狼の秦」と比較しても、共産党の暴虐は勝るとも劣らない。よく知られているように、共産党の哲学は闘争の哲学であり、共 産党の統治も、内外の「階級闘争」、「路線闘争」、「思想闘争」で作り上げたものである。毛沢東は「始皇帝など取るに足らない。彼は460人の儒学者を殺 し、私達は4万6千人の儒学者を殺した。人は私達を独裁統治だと、始皇帝のようだと罵るが、それも認める。しかしながら、それでは言い足りてはいない。 言ってみれば、それどころではないのである」と率直に言った。[1]

共産党統治下の中国の苦難に満ちた55年を少し振り返ってみよう。中国共産党が政権を奪い取った後に、いかにして政府の構造を利用し、階級 闘争の理論で階級を絶滅させたのか、また、どのように暴力革命の理論で恐怖の統治を実行したのか。「人を殺し」、「心を殺す」ことで、共産党以外のすべて の信仰を弾圧して、自らを美化し、中国で「神をつくる」運動の幕を開けた。共産党の階級闘争と暴力革命の理論によって、反体制の社会階級と異分子を粛清 し、それと同時に暴力と欺瞞により、中国人民を専制支配下の従順な民としていった。

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【第四評】共産党は宇宙に反する

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序文

中国人は「道(どう)」を極めて重んじる民族である。古代、暴虐な帝王は「非道で愚かな君主」と呼ばれ、人が何事かをなすとき、世の人々の認める 「道徳」基準に合わない場合は「道理に合わない」と言われた。更には、農民の造反でさえ、「天に代わって正義の「道」を行う」というスローガンが掲げられ た。老子曰く、「物あり混成し、天地に先だちて生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立して改めず、周行して殆(とど)まらず。もって天下の母となす べし。われその名を知らず。強いてこれに字(あざな)して道という。(天地が生ずる以前に、すでにあるものが存在した。そのものは、混沌として形容しがた く、感覚で捉えることはできない。他に依存せぬ独立の存在で、そのはたらきは時間空間を超越して止むことがない。これが天地の母である。このものは、限定 できないから、名づけられない。強いて名づけて「道」とよぶ)」。<『中国の思想6 老子・列子』徳間書店より>すなわち、天地は「道」から生まれたということである。

しかし、この百年来、共産党の亡霊が大きな音を轟かせて侵入してきたことにより、自然に背き、人間性に背く力が形成され、無数の苦痛と悲 劇が生み出され、人類の文明は絶滅の瀬戸際にまで追いやられてしまった。その「道」に反する諸々の暴行は、自ずと天地にも反するものであり、従って、それ は宇宙の法則にも反する極悪な勢力となった。

「人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」[1]と いうように中国人は古来、天と人は一つであり、人と天地は融合し、互いに依存し合って生存すると信じ、それを守ってきた。天の道は不変であり、その循環に は法則がある。地は天の時に従って、四季がはっきりと分かれ、人は天地を尊びて、恩に感謝し、福を惜しむ。いわゆる「天の時、地の利、人の和」[2]である。中国人の概念の中では、天文、地理、暦法、医学、文学、そして社会構造に至るまで、すべてこの理念に貫かれているのである。

しかし、共産党は、「人は必ず天に打ち勝つ」と宣揚し、「闘争哲学」を持ち、天地自然を見下してきた。毛沢東曰く、「天と戦いてその楽しみは尽きず、地と 戦いてその楽しみは尽きず、人と戦いてその楽しみは尽きぬ」。共産党はその中から本当の楽しみを得たかもしれないが、人民はそのために痛ましい代価を支 払った。

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【第五評】法輪功への迫害における江沢民と中国共産党の相互利用

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序文

張付珍さん(女性、38歳)、山東省平度市現河公園の元職員であった。2000年11月、法輪功の陳情のために上京したが、不法に連行された。情報 によると、公安局関係者により、張付珍さんの衣服はすべて剥ぎ取られ、髪の毛もすべて切り落とされ、辱めを受けた。更に、ベッドの上に「大」の字に縛り付 けられたため、ベッド上で用を足すしかなかった。そして、何らかの薬物注射を打たれ、直ちに狂ったかのようにもがき始め、そのままベッドの上で悶絶し死亡 した。その場に居合わせた「610オフィス」の官員らは、一部始終を監視していたという(明慧ネット2004年5月31日による報道より)。[1]

楊麗栄さん、(女性、34歳)、河北省保定地区定州市北門街に居住していた。法輪功を修煉しているという理由で、家族はいつも警察から嫌がらせと脅迫を受 けていた。計量局の運転手である彼女の夫は、職を失うことを恐れていたが、2002年 2月 8日夜、またしても警察からの嫌がらせを受けると、ついに耐え切れなくなった。翌日の夜明け、両親がいない隙を見計らって、妻の首を締めた。こうして楊麗 栄さんは、10歳の息子を残して無惨にも世を去った。その後、夫は警察に自首した。警察は現場に到着すると、まだ体温が残っている楊麗栄さんを解剖して は、多くの臓器を持ち去った。取り出された臓器はまだ熱を出しており、絶えず鮮血がしたたり落ちていた。定州市公安局の一人が“これは死亡した人を解剖し ているのではなく、生きた人を解剖しているのではないか”と言った(明慧ネット 2004年 9月 22日による報道より)。[2]

黒龍江省万家労働教養所で、妊娠6,7ヶ月になる妊婦が虐待を受けた。椅子の上に立たされ、両手を縛られた状態で鉄棒を握らされる。この状態で、椅子を蹴 飛ばされる。すると体は一瞬宙に浮いた状態となる。我慢できずに、手を離すと床に落下するが、両手は縛られており、受け身も出来ない。筆舌に尽くしがたい 苦痛を受け続け、流産してしまった。さらに残酷なことには、警察は、妻が虐待される様子を、全て夫に側で見るように強制した(明慧ネット2004年11月 15日、万家労働教養所で100数日間の残酷な刑を受けた王玉芝さんへの取材報道より)。[3]

この様な聞くに堪えない残酷な事例が、現代の中国でも起こっている。しかも、その迫害は、法輪功学習者の身の上で起こっており、5年間に渡り継続的に行われて来た無数の虐殺事件における、氷山の一角にすぎないのである。

改革開放以来、中国共産党は国際社会において、積極的に一つの進歩的なイメージを、作り上げることに全力を傾けている。しかし、昨今の広範に渡たる、法輪 功への血なまぐさい理性を欠いた迫害の凄まじい圧迫、及び残忍な手段は、国際社会に中国共産党の真実な一面を再び露呈すると共に、中国共産党の人権におけ る最大の汚点となっている。現在、一部の人々は、それらの責任は警察機構の堕落にあると思い込み、中国共産党は改善され進歩していると、誤認しているが、 今回の上から下まで、すべてに渡る組織的な法輪功への迫害は、その人々が抱いていた幻想を、徹底的に破壊しているのである。

「このような血なまぐさい、かつ荒唐無稽な迫害が、なぜ中国で発生しうるのか?20年前の文革に対して、“混乱が静まり正常に戻った”ば かりの今日、なぜ再び歴史は邪悪循環へと墜落したのか?“真・善・忍”を原則とする法輪功は、世界60ヶ国へと広く伝えられているのに、なぜ、たった一 国、中国だけで迫害に遭わなければならなかったのか?今回の迫害で、江沢民及び中国共産党は一体どの様な関係にあるのか?」と、多くの人々は考えるように なった。

江沢民には、徳もなければ能力もなく、中国共産党という、殺人と嘘のでっち上げを専門とする、正確に動く暴力マシンがなければ、全中国に波及し、ひいては海外にも及んだ集団虐殺的な迫害を発動することは、決して出来なかったのである。

目前の開放政策及び世界と軌道を接する国際情勢の中、江沢民という、強情で独断専行の邪悪な独裁者がいなければ、中国共産党も歴史の潮流に 逆行しては、動けなかったはずである。江沢民及び共産党邪霊の相互の呼応と共鳴が、雪山を登る者の声と積雪との共振により、雪崩のような災難を引き起こす ように、江沢民及び中国共産党は互いに利用しあい、その弾圧の邪悪なることを古今未曾有となるまで、拡大することができたのである。

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【第六評】中国共産党による民族文化の破壊

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序文

文化は一つの民族の魂であり、人種や大地などといった物質的な要素と同じく重要な精神要素である。

民族の文明史はその民族の文化発展史でもあり、民族文化に対する徹底的な破壊は、その民族の消滅であるとも言えるだろう。人類の歴史上、す ばらしい文明を創り出した民族は、現在、その人種としてその子孫がまだ残っている.が、民族としてはその伝統的な文化が失われるにつれてだんだん姿を消し てしまった。世界各国を見ると、中華民族は唯一五千年の文明を受け継いでいる。それゆえ、その文化に対する破壊はさらに大きな罪となるに違いない。

「盤古は天地を開く」[1]、「女(じょか)は人間を造る」[2]、「神農は百草を嘗める」[3]、「蒼頡(そうけつ)は文字を造る」[4]などの伝説は神が文化を伝える当初の様子を私たちに伝えている。「人法地、地法天、天法道、道法自然(人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る)」[5]では、天人合一という道家の思想を文化に織り込み、「大学之道、在明明徳(大学の道、明徳を明らめるに在り)」。[6]二 千年前の孔子は初めて学校を開き、儒家思想を代表する「仁、義、礼、智、信」を社会に伝えた。紀元1世紀、「慈悲済度」を訴える仏教は東へと伝わって行 き、中華文化はさらに豊かになった。儒、仏、道三家の思想は互いに照り映し、盛唐時代、世界中の人々からそれぞれの素晴らしさが注目された。

中華民族は歴史上何度も侵略と打撃を受けたことがあるが、私たちの伝統的な文化は非常に強い融合力と生命力を持つため、その精華はずっと 後代に伝わってきたのである。「天人合一」は私たちの先祖たちの宇宙観を表し、「善悪には報いがある」は社会の常識で、「己所不欲、不勿於人(己の欲せざ るところ人に施す勿れ)」は人間の基本的な美徳であり、「忠、孝、節、義」は人々の人柄を為す基準であり、そして、「仁、義、礼、智、信」は人と社会の道 徳を規範する基礎である。このような前提の下で、中華文化には誠(実)、善(良)、そして和(貴と為す)、(包)容などの優れた特徴が顕われた。人々が祭 る「天地君親師」という位牌は、神(天地)を敬い、社稷(君王)に忠誠し、家庭(親)を大事にし、師道を尊敬するという文化が世の中の人々の中に深く植え 付けられていることを示している。中華伝統文化は天と人の調和を追求し、個人の修養を重視し、人々が包容でき、発展でき、人間の道徳が守られ、さらに人々 が正信を持つことができるように、儒仏道家の修煉信仰に基づいている。

人々を強制的に抑制する法律と違い、文化による抑制は柔和的で最も効果的なものである。法律は、罪を犯したら、どのような刑罰を与えるか ということを重んじる。しかし、文化は道徳を育成することにより、犯罪を予防するという役割を大いに果たしている。一つの社会の倫理価値観は、その文化を 通し、具体的に反映できたのである。

中国史上、伝統文化がその頂点に達した唐の時代は正に中華という国の国力がその頂点に達した時でもある。当時の科学技術も世界中で最も先 端に立っていた。そのため、欧州、中東、日本から多くの学生が唐の都である長安に留学した。また、唐の周辺の国々は中国を宗主国として見なし、万国からの 使者が中国に訪ねた。[7]秦の時代から、中国もよく少数民族に侵略されていた。その中に、 また、隋、唐、元、清と他の民族がそれぞれ割拠していた時代もあった。しかし、それらの民族はほとんど漢民族化されたのである。「故遠人不服、則修文徳以 来之(遠きが故に人服せずば、則ち文徳を修するを以って之を来たらしむ)」と孔子が言ったように、これは、伝統文化の強大な同化力の働きであると言えるだ ろう。[8]

1949年、中国共産党が政権を奪い取った後、国家のすべてをかけて私たちの民族文化を破壊し始めた。これは、共産党が工業化を進めよう、 あるいは西洋諸国と同等に並びたいという熱意からの行動ではない。そもそも、イデオロギーの面から言えば、共産党の理論は民族の伝統文化とまったく正反対 なものである。共産党の文化への破壊は実に、組織的に、計画的に、かつシステム化されたもので、国家暴力を基礎とするものである。共産党が設立されてから 今までは、中国共産党は中国文化に対する「革命」を停止したことがない。共産党は確かに中国文化の「命」を徹底的に抹消(革)しようとしてきた。

さらに、中国共産党はこっそりすりかえるという方法を使い、古代から今日まで、人々が伝統文化を投げ捨てた後に起こった権力をめぐる陰謀 に満ちた激しい戦い、独裁専制などをさらに広め、彼ら独自の善悪を量る標準や物事の考え方、言語方式を造り出し、人々に「党の文化」は伝統文化の継承であ ると認めさせた。また、彼らは人々の「党の文化」への反感を利用し、さらに中国真正の伝統文化を放棄させようとした。

これは、結果として中国に災難をもたらした。人々は道徳的な抑制を失っただけではなく、中国共産党に強制的にその邪悪な学説を注入されたのである。

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【第七評】中国共産党の殺人の歴史

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序文

中国共産党政権の成立から55年間の歴史は、血と嘘で記された歴史である。その流血の裏にある事実は、残酷非道であるばかりでなく、ほとんど世間に 知られてない。中国人の6千万ないし8千万もの罪のない人々の命が犠牲となり、更に多くの家庭が迫害された。今日でも、多くの人たちが依然として、なぜ中 共は人を殺す必要があるのかと考えている。今日でも中共は相変わらず、法輪功学習者を虐殺しており、更に2004年11月初旬に至っては、漢源で抗議する 民衆に対して発砲し制圧した、その時も多くの人たちが思ったことは、いつ中共が虐殺を止め、対話することを学び、銃を用いるのではなく話し合いをするかと いうことである。

毛沢東が「文化大革命」を総括したとき、「国内が大いに乱れ、そして泰平の世となった、七、八年後にまた同じようなことになるであろう」と述べた。[1] はっきりと言うならば、つまり七、八年ごとに政治運動を行い、七、八年ごとに、再度大量の人たちを殺すことと言える。

共産党のこのような殺人には理論的根拠があり、現実に必要なことなのである。理論から言うと、共産党が「プロレタリア独裁」と「プロレタリ ア独裁の基での継続革命」を信じ、政権を打ち立ててから、「地主を殺す」という方法で、農村の生産秩序を解決し、「ブルジョアを殺す」ことで、商工業の改 革をなし遂げ、都市の生産秩序を解決する。この二つの階級を抹殺してから、経済における基礎的問題をほぼ解決した。イデオロギーの問題も殺人によって解決 しなければならない。その中に、「胡風の反党集団」を絶滅させることと「反右」を含み、それをもって、知識人たちを粛清する目的を達成する。「民間信仰団 体及び結社」を殺すことで、宗教問題を解決する。「文革の人殺し」は文化及び政治に関する党の絶対的な指導権問題を解決するためである。「天安門事件」の 殺人は民主化を求める問題を解決するためであり、政治危機から逃れる為である。「法輪功を迫害する」ことは、信仰及び健康増進運動等々の問題を解決するた めである。

このすべては、みな中共がその地位を強化し、その統治を維持する過程で、絶えず、経済危機(政権を打ち立ててから、物価が高騰し、文革後 の経済が崩壊する寸前に)、政治危機(一部分の人たちが党に服従せず、一部分の人たちが党と政治権利を奪い合う)、信仰危機(旧ソ連の解体及び東欧激変事 件、法輪功事件)を解決するうえで起った、必然的な反応である。法輪功事件以外の、前述したすべての政治運動は、中共悪霊への充電であり、革命意欲を掻き 立てる過程は、即ち党の組織に対する検査で、全ての党の要求に符合していない党員は、一切淘汰されてしまう。

それとともに、共産党の殺人は現実に必要でもある。共産党は立党当時から、無頼漢やならず者が、人を殺し、作り上げたものである。人殺し を既に始めたので、絶対に途中止まることなく、しかも絶えず恐怖を作り上げ、人民を恐怖の中におき、人民は党が強硬すぎるため、頭を下げ言いなりになると いう現実を認めざるをえない。

表面的に、多くの事例は、中共が「受身の立場の殺人」のようで、社会に偶然の事件が起り、偶然に中共の悪霊及びその中共の組織的殺人メカ ニズムに触れたようであるが、実は、「偶発」の裏に隠れている周期的な殺人は、中共にとっては、必然なことである。そうでなければ、喉元過ぎれば熱さを忘 れることになり、二年間ほど殺人をしないと、人々は中共が既に改善されたという錯覚に陥ってしまい、甚だしい事例としては、89年(天安門事件)民主運動 の理想青年と同様、民主化を性急に求めることになりかねない。

七、八年ごとに一度大量殺人をすれば、人々に恐怖感への記憶を絶えず刷新することができる。成長したばかりの若者たちに警告し、共産党に 反対し、中共の絶対指導権に挑戦しようとする人たちや、歴史の本来の面目を回復しようと図る人たちに、「プロレタリア独裁の強烈な打撃」を食わすに違いな い。この点から見ると、殺人とは、中共が統治を維持するための最も必要な手段の一つである。血の債務がますます多くなる状況の下で、屠殺用の刃物を捨てる と、自分自身を民衆に渡して清算されることになる。それゆえ、中共の人殺しは、大量に殺戮して、死体を至る所に放置するばかりでなく、しかも、その手段は とても残虐で、特に、政権を打ち立てたばかりの時期には、そうしなければ、民衆を震え上がらせることができなかった。

恐怖を作り出すための殺人であるため、誰を殺し、誰を殺さないか、ということに理性などいささかもない歴代の政治運動に中共は、「集団殺 害」政策を利用してきた。「反革命を鎮圧する」を例として、中共は反革命の行為を鎮圧することではなく、反革命「者」を鎮圧するわけである。例えば、ある 人が無理やり兵役に徴用され、わずか数日間、国民党の兵隊になったという事実だけで、台頭した中共政権に対し、何ら反対していないにもかかわらず、やはり 処刑されるのである。なぜならば、その人は「歴史反革命」に属しているからである。土地改革の過程で、中共は、甚だしく「禍根を根絶する」という絶滅方式 を取り、地主を殺害する以外に、その家族全員を殺す。1949年以降、中国では人口の半分以上が中共の迫害を受けたことがあり、不自然に死亡した人数は6 千万ないし8千万と推定され、二度の大戦における死亡者数の総数を上回っている。

世界の他の共産国家と同様、中共はほしいままに、民衆を屠殺するばかりでなく、内部に対しても血生臭く粛清し、手段も極めて残虐であり、 その目的の一つは「人間性が党性に勝った」異分子を排斥するためである。人民を脅迫する必要ばかりでなく、内輪の人に対し、脅迫が必要である。それは、 「難攻不落の堡塁」を形成させるためである。

文化面において、正常な社会では、人間と人間との間の愛と思いやりを満たし、生命への畏敬と神への感謝の気持ちを溢れさせる。東洋人は「己の欲せざるところを人に施すなかれ」[2]と言い、西洋人は「己を愛する如く他人を愛せ」[3]と言っている。共産党だけが「今までの、すべての歴史は階級闘争の歴史である」[4]と 言い、「闘争」を維持するために、人民の間に、憎しみを煽らなければならない。中共自身が人を殺すばかりではなく、大衆と大衆との間で殺しあうことを唆 す。人民を絶えず人殺しの中におき、他人の苦痛及び命を無視することを教え、色々な非人道的な残虐な暴行に慣れてしまい、無頓着にする。運良く暴行が免れ ることを最も幸いなことだと思わせ、中共の統治が残虐な鎮圧によって維持されることができるようになる。

それゆえ、中共は何十年もの間、虐殺の中で、数え切れない生命を破壊した。更に、中華民族の精神をも打ち砕いてしまった。数多くの人たち が、残虐な闘争の過程で、条件反射を形成され、中共が殺戮の刀さえ上げれば、すぐに、すべての原則を放棄し、一切の判断力を無くし、投げ出してしまう。あ る意味から言うと、彼らの精神は既に死んでいる。これは肉体の死亡より遥かに恐ろしいことである。

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【第八評】中国共産党の邪教的本質

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序文

20世紀、90年代初頭、旧ソ連を始めとする社会主義の陣営が崩壊し、約百年も続いた共産国際運動が失敗に終わった。しかし、中国共産党は一つの異 例として残り続け、しかも世界人口の五分の一を占める中国を統治している。ここに避けて通れないある問題が存在する。つまり、今日の共産党はまだ共産党な のだろうかという問題である。

まず、今日の中国において、中共を含めて共産主義を信じている人はもういない。五十数年間「社会主義」を唱えてきたが、今は株式制、私有 制、外資企業を導入し、労働者を最大限に圧迫し、共産主義の理想と相反する道を走っている。しかし、それと同時に中共は引き続き共産党の絶対的な指導権を 握って離さない。2004年改定された新憲法の中には、相変わらず「中国各民族の人民は引き続き中国共産党の指導の下で、マルクス・レーニン、毛沢東思 想、鄧小平理論及び「三つの代表」など重要な思想に導かれ、人民民主専制と社会主義の道を歩んでいく」という内容が盛り込まれている。

今日の共産党はあたかも、「豹は死んだが、その皮はまだ残っている。」[1]のように、中共に継承され、共産党の統治を維持している。では、中共が継承した共産党という皮、この組織は、その本質はいったいどういうものなのだろうか?

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【第九評】中国共産党の無頼の本性

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序文

百年余りに亘って世の中を騒がせてきた共産主義運動が人類にもたらしたものは、戦争、貧困、血生臭さと専制だけであったが、ソ連と東欧の共産党の崩 壊により、この世界に害を及ぼしたでたらめな芝居も前世紀末には終焉へと向かい、今では、庶民から党の総書記に至るまで、共産主義のたわごとを信じる人は 誰一人いなくなった。

「君権神授」でもなく「民主選挙」でもない共産党政権は、自らが生存の拠り所としていた信仰が完全に消えうせた今日、その執政の合法性もかつてない挑戦を受けることとなった。

中国共産党(中共)は、歴史の潮流に従ってその表舞台から退くことを拒み、逆に数十年に亘る政治運動の中で蓄積してきた、邪悪の粋を集めた各種の無頼手段を振るうことにより、合法性を探り、起死回生を図るための狂気のごときあがきを始めた。

改革にしろ開放にしろ、中共の目的は、ただ単に集団の利益と独裁政権を必死に維持することである。中国のこの20年間の経済発展、つまり、 中国人民が依然として厳しい束縛の中で辛労を重ねて獲得した果実は、中共に刀を捨てさせることができなかったばかりか、逆に執政の合法性の資本として奪い 取られてしまい、その一貫した無頼行為をいっそう人々を惑わす欺瞞的なものにしてしまったのである。

最も恐れるべきことに、中共は全力を傾けて民族の道徳的基盤を破壊し、全ての中国人を大なり小なり無頼の徒に変えて、共産党のために「時代とともに変化する」生存環境を確保しようと企んでいる。

民族の長期に亘る太平と安定のために、そして中国が一日も早く共産党支配から脱却し、民族の栄光を取り戻すためにも、共産党はなぜ下劣な行為をするのかということ、ならびにその無頼の本質を明確に認識することがとりわけ重要となった。

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